心と身体の治療について

自分の親はいわゆる「毒親」でした。夫の助けもあり、現在は治療に専念しています。今でも、実家のフラッシュバックがなくなる日はありません。辛かったのは【心と身体どちらもダメになること】でした。実家で生活していた頃はあまりのストレスに、気持ちが身体まで引っ張って、日常生活すら困難でした。頻繁な嘔吐、発熱、喘息、頭痛、ひどい時は記憶も途切れ途切れで少し前のことも思い出せなくなっていました。

そんななかでも自分なりに頑張ったと思えたことは、行政に行き一生懸命資料を作り申請して障害年金を得られたことでしょうか。二十歳から利用できる制度で二年ほど申請しておりませんでしたので、一度に二年分の額を頂きました。「自立をして家を出る」という目標を立てて、行政の保健師さんと計画を立てていましたが、実家のストレスの最中で心と身体を壊したまま現実的に収入を得ていくことが叶いませんでした。

悔しくて辛くて我慢の限界で、ついに家出。障害年金はその時の資金となりました。リュックサック一つ背負って、最初は心を落ち着けたら帰ろうと思っていましたが、このまま実家にいても人生が終わっていくだけだと切実に思いました。その後は当時付き合っていた恋人と同棲、結婚。今は夫となったその人と、懸命に生きています。
毒親のことやそれにまつわる病、治療の過程を公表するのには同じような悩みを持った方に安価でわかりやすい情報を広く届けたいという気持ちがあったからです。

自分がどうしようもない時は、体も動かせず、ずっとベッドの上で横になりインターネットを漠然と見ていることしかできなかった。なんとか治療に関する本を開いても、脳が疲弊しているのか内容も全く入ってこなかった。そもそもそういった有益な情報の載っている本を買うお金もなかった時もあります。

そのため、今こうして治療を進める段階になった時、「消化と昇華」の作業が自分にとっても大切でしたし、その過程で誰かの役に立てたら光栄だという思いがあります。


毒親問題の一旦の終結

母は数年前、不倫をして家を出ました。父はそのことで病んでしまいました。けれど母が出て行ったのは父のモラハラが原因では?と思っています。それからは父の心理的虐待が始まりました。存在の否定(リビングを共有することを許されませんでした、父がいる時間のテレビは許可制でした、食事も別、会話もなし)兄弟差別(弟との扱いの差が酷かったです)などがありました。あとは母の不倫のことで女性不信になったのか男尊女卑的な発言も増えました。父は私が傷つくことを言って、私が泣くと「ヒステリックだ!」と言いました。なんだかもうどうしよもなくて、悲しみと絶望と呆れの気持ちが父に対してありました。

その後どうなったかというと、絶縁しました。というより、こちらから関係を切りました。私には父の願いを叶えることができないと思ったからです。父の願いは「父親として頑張りたくなかった。自分のプライベートの時間がほしかった。俺は可哀想で不幸な人生だったからいつも辛かった。家族として頑張らない自分を肯定して欲しかった。そのうえで体調もメンタルも崩さず親の俺を支えて子どもとして自分の役割を果たして欲しかった。世間様の前では問題のない普通の家族のふりをしたい」…いや無理だろ!!そんなこと!!!そんな都合いい存在にならなきゃ駄目なのか!?!?やめてくれよマジで!!!ってなりました…。

家族のことで私が辛かったのは「タイミング」と「家族を愛したことで損をしたと思わされたという事実」です。短期大学の卒業の年に母の不倫のすったんもだがあり、短大から帰宅すると父と探偵社に行き母の動向について聞き、夜も母が不倫相手と一緒に過ごしている時の盗聴のデータを一緒に聞いてくれと父が自室に入ってくる。私は学校ではゼミ長をやっていたのでゼミの卒業制作をまとめなければならない。母が私の下着を勝手に盗んで不倫相手と一晩明かす。父に「母との裁判で有利になるようにメンタルクリニックで母のせいで私が心を壊したという診断書をもらってきて」と頼まれる。そんな日常はあまりにもストレスが酷く、味覚障害や記憶障害などもありいつも体調不良。就職どころか留年予定でした。なんとか先生方のサポートもあり卒業すると今度は父からの心理的虐待やモラハラ。ストレスでよく嘔吐し発熱して、やっぱり働くこともできなかったです。

親に対しては、基本的に支えたいし家族が大切だと思っていたのでそのショックがなおのこと酷かったのかなと思います。親は子どもの支えが当たり前だと思っているし、支えられている感覚もないのだなぁと。だから「お前は頑張っていない」と平気で言えるんだなぁ。酷いな。
でも、父の願いは生身の人間に押し付けて良いものではない。家出して結婚してなんとか立て直したから良かったものの、自分が実家でずっと具合悪くしながらあの扱いを受けていたとしたら…いつか何かぷつんと切れて大変な事件にでもなってたのかなって正直に言うと思ってました。家族なんて大切にしなければ、親なんて愛さなければ、こんな酷い教訓を与えてくれた親に対しての怒り憎しみが今となっては1番強いです。家族を愛することを後悔させるなよ、と。